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コウホネとは、特徴・由来・歴史、茨城県の名所案内


コウホネとは:特徴・由来・生殖等

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コウホネの開花景観写真・筑波実験植物園へVRツアーへリンク

コウホネ(河骨、学名: Nuphar japonica)は、スイレン目スイレン科コウホネ属に属する水草の一種で黄色い花を6月~9月に咲かせる多年生の水生植物です。 日本固有種とされ、日本の北海道 (南西部)、本州、四国、九州に分布しています。 深水の浅い池や沼、流れの遅い水路や川など泥地に生息します。コウホネの由来は、地下茎が白い骨のように見られるためと云われ、地下茎は、「川骨(せんこつ)」とよばれ、生薬とされています。


(1)コウホネの花

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コウホネの花の拡大写真

コウホネは、水中の地下茎から長い花柄(かへい)を水上に延ばしてその先端に直径 3~5 cm 程の黄色いカップ状の花を咲かせます。5枚の花びらのように見えるものは萼(ガク)です。 萼(がく)も含めた花全体は、まるで黄色い餡(あん)で作られた和菓子のようです。
花期は、6月~9月頃で比較的長い期間見ることが出来ます。

萼片(がくへん)は5枚で、黄色 で大きく花弁(はなびら)のように見えますが、実はガクで、花の終了に合わせて緑色に変色していきます。
花弁は、中央部分に多数、黄色く、ガクの半分以下の長さのものです。
雄しべも多数あり、葯(やっく:花粉袋)は長さ 3–8 mm、花糸は葯の1–2倍長です。
雌しべは1個、多数 (9–17個) の心皮からなり、柱頭盤(めしべの部分)はふつう黄色、直径 5–7 mm、深く切れ込んで星形で花の中心部分です。この、柱頭盤部分が、徐々に緑色に膨らんで実になります。

コウホネの花の生殖法は、雄と雌が同居している「両性花」で「雌雄同株」で、雌蕊(めしべ)が他の花の雄蕊(おしべ)の花粉で完熟する「雌性先熟型」です。これによって、自己受粉を避け、種の多様性を維持しているのです。

  • 両性花(りょうせいか): ひとつの花の中に「めしべ」と「おしべ」が同居しています。
  • 雌雄同株(しゆうどうしゅ): ひとつの株(個体)にオスメス両方の機能が備わっています。通常の花は、めしべが花の中央にあり、そのまわりに花粉をもった複数のおしべがあります。
  • 雌性先熟(しせいせんじゅく): 花が開くとまず「めしべ」が先に成熟して受粉できる状態になり、他の花のおしべが風やハチ等の昆虫でじゅぶんされ完熟し、その後に「おしべ」が花粉を出し他の花のめしべに受粉し完熟させます。

(2)葉

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コウホネの葉と花の景観写真

根茎の先端部から葉柄が束生し、その先に深緑色の光沢のある狭卵形や長楕円形の縦10–50cm,横6–18cm程の葉をつけます。
には、水中の沈水葉と水上の水上葉があり、冬季に水上葉は枯れ、沈水葉だけになり、沈水葉は、水上葉よりも細長く、流水域では、沈水葉だけの場合もあります。また、水上葉には、水面より高く立ち上がる抽水葉と水面に浮かべる浮水葉があり、水深の浅い場所は抽水葉となり、深い場所は浮水葉となります。
なお、コウホネは、黄色の花と深緑の葉が鮮やかにマッチングしていることが人気の要因です。そのため、どちらが欠けても「絵」になりません。
これは、「生け花」でも同様です。そのため、「切り花」も花と葉のセット販売です。


(3)果実と種は

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コウホネの花が身になる写真:鏡ヶ池のVRツアーで見れます。

写真は、花が徐々に終了し、液化ができる過程の写真です。左側上は、花が終了したところです。右下は、実になりつつあります。液果で花が終わった後に、長さ 3–6 cm程の緑色でつぼ形の実をつけます。その後、実は液化のため水中でくずれて多数(100個ほど)の倒卵形(長径 5–6 mm)の種子を水中に放出します。

  1. 最初はかたまって「浮く」:果実が熟すと、水中で割れて中から種子が飛び出します。このとき、種子は1粒ずつバラバラになるのではなく、空気を含んだゼリー状の組織(内果皮)に包まれた塊の状態で出てきます。この空気のおかげで、種子の塊は水面に浮きことができます。水面に浮くことで、湖の波や水の流れに乗って、親植物から離れた遠くの場所まで運ばれるのです。
  2. やがてバラバラになって「沈む」:水面を漂っているうちに、種子を包んでいたゼリー状の組織が水に溶けたり、ふやけて崩れたりします。すると、中にあった種子が1粒ずつ離れ、空気の浮力を失って最終的には水底(湖底)へと沈んでいきます。 3
  3. 泥の中で春を待つ:発芽する湖底の泥に沈んだ種子は、そこで冬を越します。コウホネは種子から育つのが少し難しい植物ですが、環境が整うと春以降に泥の中で芽を出し、新しい株として成長できるのですが、問題は自然の中にコウホネの育つ環境が無いという事なのです。

(4)地下茎 (根茎)

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白くて太く、直径1~3センチメートルになり、水底の泥中を横に這い、茶褐色の葉痕があり、古い部分は黒褐色をしています。和名の河骨は、太くて白い根茎が骨のように見えるというのが名の由来と言われています。根茎は、古代から生薬で川骨(せんこつ)といい、強壮剤や止血剤にもなっています。


コウホネの花言葉

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  • 「秘められた想い」
    花言葉の由来:中からすっと茎を伸ばし、水面でひっそりと黄色い花を咲かせる奥ゆかしい姿からつけられました。
  • 「その恋は危険」
    花言葉の由来:コウホネが自生する底なし沼や深い池などの水辺は、足元が危うく近づくのが危険であることに由来しています。
  • 「崇高」
    花言葉の由来:泥の中をたくましく這うように伸びる白い根茎(これが人間の骨に似ていることから「河骨」と名付けられました)から、凛とした美しい花を咲かせる力強さにちなんでいます。

コウホネの学名は、誰が、どのような経緯で決めたのか?

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18世紀〜19世紀に活躍したスイスの非常に有名な植物学者、オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Augustin Pyramus de Candolle)が、日本のコウホネの学名の命名者です。
コウホネの学名は、「Nuphar japonica DC」で、これを、分解すると以下のようになります。

  • Nuphar(コウホネ属:属名)
  • japonica(日本の:種小名)
  • DC.(ドゥ・カンドール:命名者)

日常的に植物の名前を呼ぶときは「Nuphar japonica」までで十分ですが、学術論文などで「どの分類体系のコウホネを指しているか」を厳密に特定するために、この命名者名(DC)が後ろに添えられます。


なぜ、スイスの植物学者のドゥ・カンドールだったのか?

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セイヨウコウホネの説明写真

オーギュスタン・カンドールは、日本に来たことはありません。スイス人のオーギュスタン・カンドール(DC)が、日本に自生するコウホネの命名者になれたのは、出島(長崎)を通じてヨーロッパに渡った日本の植物標本を、彼が現地で詳しく研究したからです。当時は鎖国下でしたが、日本から海外へ植物が渡るルートが存在していました。彼が命名者になるまでの背景には、以下のような歴史のドラマがあります。

1.出島からヨーロッパへ渡った標本
江戸時代、長崎の出島にはオランダ商館の医師として、カール・ツンベルク(チュンベリ)などの著名な植物学者がやってきていました。彼らは日本国内で膨大な植物を採集し、乾燥させた「押し葉標本」にしてヨーロッパへ持ち帰りました。
2.世界中の植物が集まる中心地にいた
カンドールが活躍していた19世紀初頭のヨーロッパ(特に彼がいたパリやジュネーヴ)は、世界中から新種の植物標本が集まる「植物分類学の最先端拠点」でした。カンドールは、ツンベルクらが日本から持ち帰った標本を観察する機会に恵まれました。そして、その中にあった日本の水草(コウホネ)を目にしたのです。
3.「これは新種だ」と1821年に発表
ヨーロッパにもコウホネの仲間(セイヨウコウホネなど)は自生していましたが、カンドールは日本の標本をじっくり調べた結果、「ヨーロッパのものとは形が違う、アジア・日本特有の新しい種類だ」と突き止めました。※写真は、セイヨウコウホネの写真です。花の見た目は、よくわかりませんが、葉が水面に浮いていて、丸型なのが大きな違いです。日本のコウホネは、葉が茎で立ち上がり、ハート形をしています。

1821年、自身の著書の中で、この植物にコウホネ属を表す「Nuphar」と、日本産であることを示す「japonica」という学名を与えて世界に発表しました。カンドール自身は日本に来ていませんが、「江戸時代の出島経由でヨーロッパに運ばれたコウホネの標本を、世界で初めて科学的に正しく分析して学名をつけた人」が彼だったため、今でも学名の後ろに「DC」の名が刻まれているのです。

日本人でないのが残念ですが、日本人が国内で初めて新種の学名を発表したのは、68年後の1889年(明治22年)です。植物学者の牧野富太郎(まきの とみたろう)が、大久保三郎との連名で新種の植物「ヤマトグサ」の学名を『植物学雑誌』に発表したのが最初です。なお、牧野富太郎が圧倒的にすごいのが、約4万件の標本を集め、1500種に及ぶ新種の命名者であることです。優秀すぎたため尋常小学校も中退し、大学も卒業していませんが東京大学から博士号を授与されています。ヤマユリのページ牧野富太郎の案内ページを参照ください。


コウホネの名の由来と歴史的な評価

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コウホネは、学名が「Nuphar japonica DC」和名 は、 コウホネ (河骨)です。旧石器時代や縄文時代にもあった日本を代表する水生植物です。
コウホネは、花も綺麗で一見和菓子のよう見え、葉の緑と花の黄色のコントラストも素晴らしい花です。そもそも、人気が無かったのは理由は、花の名前に由来していると判断されます。平安時代の文献では、『本草和名』(918年頃)と『和名類聚抄』(930年代)にコウホネが記載されています。そもそもは、本草和名は、日本現存最古の薬物辞典で医学書でした。池沼の泥中にある肥大した地下茎 (根茎) を掘り上げ、根茎を縦割りにして天日乾燥したものを川骨(せんこつ)と呼びました。鎮咳、去痰、利尿、消炎、浄血、止血、などの作用があるとされました。江戸ぽ時代になって漢方が誕生し、漢方方剤である調栄湯(ちょうえいとう)や治打撲一方(ちだぼくいっぽう)、婦人薬の「実母散」に配合される生薬でした。
平安時代の文献には、以下のように記載されています。

1. 『本草和名』(918年頃)のコウホネの記載
日本最古の薬物事典(本草書)である『本草和名』の「上冊第18巻」に記載があります。
  • 原文の形式:
    「骨蓬 出《食経》云、味甘。和名:加波保祢」
  • 内容の解説:
    中国の古い食育・料理書である崔禹錫(さいうしゃく)の『食経(しょくけい)』という文献を引用しています。「骨蓬(こつほう)は『食経』に出ており、味は甘い」と説明した上で、その日本の名前(和名)は加波保祢(かわほね)である、と万葉仮名で示しています。
2. 『和名類聚抄』(930年代)の記載
平安時代中期の百科事典的辞書である『和名類聚抄』(和名抄)にも、植物を分類した項目に記載があります。
  • 原文の形式:
    「骨蓬 《本草和名》云、和名:加波保祢」
  • 内容の解説:
    編者の源順(みなもとのしたごう)は、先行する『本草和名』の記述をそのまま引く形で「骨蓬の和名は加波保祢(かわほね)である」と記録しています。

まず、古代の資料に出てくるのは、上記の2件です。万葉集には、アサザも、スイレン、ハスも複数上われています。なぜ、コウホネだけ、歌がないのか不思議です。


平安時代のコウホネの評価:美の対象ではなく常備薬だった!

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1. 「グロテスクな根茎」と名前の禍々しさ コウホネの一番の特徴は、泥の中に這う太く白い根茎です。これが人間の「背骨」や「骨」に酷似していることから、後に「河骨(かわほね/コウホネ)」と呼ばれるようになりました。 文献への初出は平安時代の延喜18年(918年)頃に編纂された日本最古の薬名辞典『本草和名』で、すでに「加波保禰(カハホネ)」として記録されています。 当時の貴族たちが重んじたのは「清らかさ」や「優美さ(雅)」です。泥から不気味な骨のような根茎がのぞく姿や、お世辞にも風流とは言えないその名前は、恋愛や自然の美を表現する和歌のモチーフとしては「不吉」「不気味」と捉えられ、避けられた可能性が非常に高いです。

1.「歌徳(文学的美意識:歌題)」に合わなかった
平安時代から続く和歌の伝統において、詠まれる植物は「優美さ」や「はかなさ」といった貴族的な美意識に合致するものに限られていました(例:桜、梅、萩、フジバカマ、アサガオなど)。コウホネは沼地や泥地にしっかりと根を張り、無骨で肉厚な黄色の花を咲かせる力強い水生植物です。この「泥臭さ」や「素朴な力強さ」は、宮廷歌人が求める上品で繊細な美の世界(もののあはれ)から外れていたと考えられます。
2.「河骨」という名前の無骨さと気味悪さ
平安時代から続く和歌の伝統において、詠まれる植物は「優美さ」や「はかなさ」といった貴族的な美意識に合致するものに限られていました(例:桜、梅、萩、フジバカマ、アサガオなど)。コウホネは沼地や泥地にしっかりと根を張り、無骨で肉厚な黄色の花を咲かせる力強い水生植物です。この「泥臭さ」や「素朴な力強さ」は、宮廷歌人が求める上品で繊細な美の世界(もののあはれ)から外れていたと考えられます。
3.日常的な身近にある常備薬
コウホネは、鑑賞する花というよりは、薬であり、田んぼの用水路や沼に生えており、身近に手に入るものでした。 また、主に煎じて飲みましたが以下のような効果があり、頻繁に利用する常備薬でした。
  • 打撲・捻挫・骨折の回復: 激しい打撲などで体内に滞った悪い血(瘀血・おけつ)を排出し、痛みを和らげるために飲まれました。
  • 婦人病の治療: 月経不順、月経痛、また産後の肥立ち(体調不良)を改善する飲み薬に配合されました。

薬でもケガやウチミ等血のイメージがあり、特に女性の生理のイメージも影響していたと考えられます。また、食料として混ぜご飯などにも利用されており、身近な存在だったのです。

何故、常備薬?コウホネの薬用としての効果

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特別で大層な薬ではないけれど、生活に密着して「痛いとき、困ったとき」に頼りになる、まさに昔の日本のホームドクター的な常備薬だったのです。

1. 「ケガ」は日常茶飯事だった
昔は今のように移動手段が発達していませんし、農作業や肉体労働が中心の生活でした。そのため、転倒、打撲、ひねり傷(捻挫)といったケガは、日々の生活で非常に身近なトラブルでした。
「転んで激しく打ち付けた」「重いものを持って腰を痛めた」という時に、すぐに煎じて飲んだり、粉にして患部に貼ったりできる川骨(コウホネ)は、家庭にストックしておくと本当に心強い存在だったのです。
2. 「血の道症」という身近な不調に効いた
昔の日本では、女性の月経不順、頭痛、めまい、産後のイライラや体調不良などをまとめて「血の道症(ちのみちしょう)」と呼んでいました。これも特別な病気というよりは、多くの女性が日頃から悩まされる身近な不調です。コウホネは血の巡りを良くする性質があるため、こうした「日々のちょっとした不調」を整えるお茶のような感覚でも重宝されました。
3. 日本の身近な川や池で手に入った
中国から輸入しなければならない高価なレア生薬(高麗人参など)とは違い、コウホネはたくさん日本の水辺に自生していました。 専門の薬師だけでなく、民間でも比較的容易に手に入れることができたため、「日頃から乾燥させて家にストックしておく薬」で広く常備薬として定着していったのです。

関東平野・江戸(東京)は、コウホネ最大の群生地・楽園だった!

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関東平野は、栄養に富む沖積低地であり、川や池や沼、湧水も多く、コウホネの群生地が多数あります。なかでも江戸のまちは、コウホネの日本最大の群生地でした。 平将門や徳川家康は、関東平野が肥沃な土地であることを理解していました。徳川家康は、平将門を江戸を守る神として神田明神を江戸の鬼門に設置しました。 平将門は、江戸の町民文化に受け入れられ人気をはくしました。コウホネも同様に江戸の町民文化に受け入れられたのです。

戦国時代の江戸は、人が住めないような湿地であり、河骨や芦の楽園でした。徳川家康が江戸に入った当時及び家康の時代における東京湾に流れていた川は以下の通りです。 江戸は、家康の時代以降、「水の都」であり、数多くの川や人工の運河(堀川)が江戸湾へと流れ込んでいました。これこそが、江戸が日本有数のコウホネ群生地であった動かぬ証拠です。

  • 隅田川(すみだがわ):江戸を代表する大河で、上流の荒川や入間川の水を集め、浅草や両国の横を通り直接江戸湾へと注いでいました。
  • 利根川(とねがわ):東京湾に流れ込む大河でした。徳川家康の東遷事業によって、東の今の利根川(千葉県銚子市・神栖市太平洋側)へと変えられました。
  • 太日川(ふといがわ) / 江戸川(えどがわ):もともとは渡良瀬川の下流(太日川)でしたが、利根川の工事に伴って「江戸川」として整備され、現在の江戸川区・浦安市あたりから江戸湾へ注ぐ重要な舟運ルートとなりました。
  • 神田川(かんだがわ)〜日本橋川(にほんばしがわ):井の頭池などを水源とし、江戸城の防御(外堀)を兼ねて人工的に隅田川へと繋げられた川です。そこから分かれる日本橋川などが江戸湾へと繋がっていました。
  • 多摩川(たまがわ):江戸の南端(現在の羽田・川崎あたり)で、広大な河口干潟を作り江戸湾へ注いでいました。
  • 古川(ふるかわ) / 渋谷川(しぶやがわ):新宿御苑あたりを水源とし、渋谷を通り、港区の金杉橋(浜松町付近)で江戸湾に注いでいました。ここに合流していたのが渋谷の宇田川支流の代々木の「河骨川」でした.

明治・大正の代々木の「河骨川」について

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河骨川(こうほねがわ)は、かつて東京都渋谷区を流れていた全長約1kmの小川で、唱歌『春の小川』のモデルとして知られています。河骨川は、現在の渋谷区代々木3丁目付近に源を発し、小田急線の参宮橋駅付近などを経て、渋谷川の支流である宇田川に合流していました。1964年の東京オリンピックを機に暗渠化され、下水道に転用され「河骨川」という自然地名は消滅しました。
この河骨川があったところに「春の小川記念碑」があります。
「春の小川」が発表されたのは、明治45年(大正元年)です。このころ、渋谷や代々木は、今では考えられませんが、まだ田園地帯でした。 春の小川には、「れんげ」と「すみれ」が登場します。季節は、異なりますが大正元年ころには、コウホネが群生していたはずです。

春の小川記念碑」の場所:〒151-0053 東京都渋谷区代々木5丁目64

以下は、記念碑の裏面の記載文章です。

「表記の歌は、大正元年に高野辰之博士がこの下を流れたいた宇田川の支流河骨川の岸辺を散策し作詞したものです。そのことを後世に伝えるためこの碑を建立致します。」
昭和五十三年十二月六日
東京都渋谷区教育委員会

↓以下画像は【明治41年に東京市が発行した地図】です。

以下の地図は、地図上中心からやや右上に千駄ヶ谷村、その上に代々木の表示があります。地図左側下に渋谷村と世田谷の文字が見られます。この地図で、道路区画は表示されていますが、代々木や渋谷、世田谷は、田園と山野を表す印だけが表示されているだけです。この辺一帯が、田園地帯であったことが明確です。自生のコウホネも群生していたことも容易に想像されます。
※渋谷駅は東京府の拡大図によって確認はできません。

明治41年東京市発行の地図

一転する江戸時代のコウホネ評価:大衆文化に花開く!

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江戸時代は、それまでの平安時代を中心とする「貴族階級の特権的・抽象的な美意識(もののあわれや風雅)」から、「町民を中心とする実用的かつ多様な大衆文化」へと美意識が大きくシフトしたしました。平安時代のコウホネは、薬であり、家庭の常備薬だったものが、江戸時代には、「見てよし(俳句・絵画)、育ててよし(園芸)、生けてよし(華道)、そして飲んでよし(薬)」という、町民たちの日常にマルチで身近な植物へとその評価を大きく変えたのです。


1. 俳句(俳諧)における「生活感と夏の情景」

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平安時代の和歌において、水辺の植物は「寂しさ」や「はかなさ」を象徴する抽象的な記号として詠まれることが一般的でした。しかし、江戸時代に松尾芭蕉らによって大成された俳諧(はいかい)では、より身近で、生活感のある具体的な情景としてコウホネが詠まれるようになります。

川狩(かわがり)に 灯(ともし)をともす 河骨(かわほね)かな ― 与謝蕪村

  • 事例の解説: 蕪村は、夏の夜に川で魚を獲る「川狩り」の松明(たいまつ)の光が、川辺に群生するコウホネの葉や黄色い花を怪しく、美しく照らし出している様子を詠んでいます。貴族の庭園ではなく、庶民が生活や遊びのために集まる「生の川辺」の風景にコウホネが溶け込んでいる様子が描かれています。
  • 美意識の変容: 高尚な「もののあわれ」から、江戸町民が愛した「リアルな季節感(涼感や夜の風情)」へと、鑑賞の視点が移行していることが分かります。

2. 絵画における「写実と意匠(デザイン)の融合」

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平安時代の絵巻物などでは、水草は背景の一部としてパターン化されて描かれるのが主流でした。しかし江戸時代以降、町民経済の発展に伴って「琳派(りんぱ)」といった新しい美術潮流が生まれると、コウホネは主役として描かれるようになります。葛飾北斎に書かれたコウホネは北斎のメッセージ性に重要な要素としても描かれています。

  • 酒井抱一(琳派)の『夏秋草図屏風』: 風雨にさらされる夏草のなかに、青々とした大きな葉を広げ、力強く上を向いて咲くコウホネが描かれています。平安時代の優美な草木図とは異なり、自然のダイナミズムをありのままに捉えつつ、町人の美意識に響くような洗練されたレイアウト(デザイン性)で表現されています。
  • 葛飾北斎の"河骨に鵜図"北斎の”河骨に鵜図”は、北斎が晩年に手掛けた肉筆画の傑作といわれている作品にコウホネが登場します。
  • 伊藤若冲の画譜萍蓬草コウホネ”
    伊藤若冲は、身の回りのものをつぶさに観察し、写生することによって腕を磨き、動植物の姿を生き生きと躍動的に、ありのままに細やかに描くという画風と技術の素地を養ったと言われています。このようにコウホネは身近な水草だった事がうかがえます。

3. 園芸における「品種改良と庶民の鉢植え文化」

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平安時代の園芸は、基本的には広大な貴族の寝殿造りの庭園に自然を模して配するものでした。これが江戸時代に入ると、長屋の軒先や狭い庭でも植物を楽しむ「鉢植え・プランター文化」へと劇的に変化します。

  • 園芸事例:『地錦抄(ちきんしょう)』や園芸図譜にみる多様性 江戸時代の園芸専門書には、コウホネの品種や栽培法が詳しく紹介されています。特に、根が浅い水鉢や睡蓮鉢でも育てられるように改良された「岡河骨(おかこうほね)」や、小ぶりで狭いスペースでも愛玩できる「姫河骨(ひめこうほね)」は、長屋に住む庶民でも手軽に「涼」を楽しめるアイテムとして大人気となりました。
  • 美意識の変容: 「自然をそのまま愛でる」から、「人間が手を加え、コンパクトな器の中に宇宙を作る」という、江戸町民特有の知的で凝縮された園芸美へと進化しました。

4. 華道における『水もの』の技術革新

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平安時代から続く「仏前への供え花」に起源を持「生け花(花道)」は、江戸時代に家元制度が整備され、町人の習い事として爆発的に普及しました。ここでコウホネは、夏のいけばなにおける「水生植物(水もの)の最高峰」としてマニュアル化されます。

  • 生け花の事例:伝書に記された「水揚げ」の科学 、コウホネは葉や茎がストローのように中空であるため、切るとすぐに空気が入り、水が上がらなくなって枯れてしまいます。江戸の華道家たちは、茎の切り口から「ポンプ(水揚げ器)」を使って水を逆注入したり、水中に沈めて切る(水切り)といった、現代にも通じる科学的・合理的なテクニックを開発しました。
  • 美意識の変容: 単に花を器に挿すだけでなく、技術によって「自然の瑞々しさを、不自然な室内でいかに長く保たせるか」という、職人肌な町民文化らしい技術へのこだわりが評価の基準となりました。


5.コウホネの薬用(常備薬)における「伝統の継承と大衆化」

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古代から「骨の痛みを去る」「打撲に効く」として珍重されてきたコウホネの根茎(生薬名:川骨)ですが、江戸時代にはこれが「誰もが知っているお馴染みの常備薬」として完全に大衆化しました。

  • 吉益東洞による「治打撲一方(ちだぼくいっぽう)」の普及
    江戸時代中期、日本独自の漢方(古方派)を確立した医学者・吉益東洞(よしますとうどう)が、打撲の特効薬として「治打撲一方」を処方しました。この主薬としてコウホネ(川骨)が使われています。
  • 暮らしの中での事例
    江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」と言われた街です。また、多くの職人が肉体労働に従事していました。そのため、打ち身や捻挫、骨折時の痛み止め、消炎剤として、川骨を配合した民間薬や貼り薬(湿布の原型)は、町人の家庭の薬箱(印籠や常備薬入れ)に必ず入っている超定番の薬でした。
  • 女性薬としての普及・「実母散」等の登場
    平安時代にも女性の生理通等に煎じて飲まれていましたが、江戸時代にも生き続きコウホネは煎じて飲まれていました。江戸時代になる漢方が普及し、複数の薬草を混ぜた「実母散」等の婦人薬が次々に登場します。「実母散」には、10数種類漢方薬が配合されており、コウホネも血の滞り(瘀血)を解消する「活血(かっけつ)」の効能として利用されていました。実母さんは、今での複数の漢方薬メーカーから販売されています。

    ※実母散・参考文献 


コウホネの絶滅危惧について

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スイレン目スイレン科コウホネ属のコウホネは、スイレンと同様に中生代・白亜紀(1億年以上前)を起源とし、花の咲く被子植物としては最も早期の植物です。途方もない年月をつないで現在に至っていますが、現在、危機的な状況に陥っています。
戦後の住宅等の土地開発や、耕地整理、沼・池の農業用水利用等の護岸工事、河川の護岸工事、地球温暖化・気候変動による水害増加等によりコウホネの生息環境が悪化しています。
2021年では、九州・四国の全県で絶命危惧種、関東でも埼玉県だけが準絶滅危惧種で、その他都県はすべて絶滅危惧種です。茨城県でも、絶滅危惧種Ⅱ類に指定されており、自然の自生地はなかなか見れない状況にあります。


茨城県のコウホネの群生地・自生地等一覧

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記載は、茨城県の県北、県央、県西、県南、鹿行の順です。

茨城県のコウホネVRツアーマップ

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茨城県おすすめコウホネVRツアーマップは、茨城県内のすべてのおすすめコウホネVRシーンの登録位置を確認できるマップです。以下のマップ上の赤オレンジ(広域起点)青(空中)黄(地上)のポイントをクリックするとVRシーンポイントの名称が表示されます。そのシーン表示をクリックするとその場所のVRシーンをご覧いただけます。


那珂市・清水洞の上公園のコウホネ群生地

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茨城県那珂市おすすめ観光スポット清水洞の上公園コウホネの案内VRツアー

清水洞の上公園は、那珂市東木倉にある自然観察ができる公園です。地域ボランティアの「清水洞の上自然を守る会」が運営管理しています。 2022年には、コウホネが蓮池にありましたが2023年は、コウホネ池が独立し多数のコウホネを見ることが出来ます。

場所〒311-0114 茨城県那珂市東木倉219−1(地図)

問合せ:那珂市観光協会

電話029-298-1111


清水洞の上公園のコウホネの景観

茨城県那珂市の清水洞の上公園のハマナスの観光VRツアー

清水洞の上公園付近の地図

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那珂市・額田城跡のコウホネ自生地

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茨城県那珂市おすすめ観光スポット額田城跡地コウホネの案内VRツアー

額田城南側の湿地池で、戦前にあった「有が池」の自生コウホネを見ることが出来ます。
額田城南側の水田地は、旧石器・縄文時代には、海(縄文海進)でした。その後長い年月を経て「有が池」という東西に長い池となり、額田城(佐竹氏)の南の城柵の役割を果たしていました。地元長老の話では、「有が池」の頃にもコウホネはあったという話ですが、池は昭和18年に戦後の殖産のため水田として干拓されという話です。 その後、水田の用水路には、自然発生したコウホネが100メートルにわたり毎年咲いていたそうです。2006年に地元の人が、日本固有の希少種の植物であることに気づき、額田城保存会が2007年に水田脇の額田城の湿地池に植え替え、現在に至っているとのことです。なお、その後、田の用水路のコウホネはコンクリート化等により消滅したらしいです。

場所〒311-0107 茨城県那珂市額田南郷258(地図)

問合せ:那珂市観光協会

電話029-298-1111


額田城跡のコウホネの景観

茨城県那珂市の額田城跡地のコウホネの観光VRツアー

額田城跡地付近の地図


日立市・赤羽緑地公園のコウホネ

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茨城県日立市の赤羽緑地公園のコウホネの景観

赤羽緑地は、日立市久慈町にある日立市の緑地で、別名、自然観察ふれあい公園と呼ばれています。現在、この緑地は、「赤羽緑地を守る会」のメンバーが管理を行っており、四季折々の草花の他、水芭蕉、スイレン、あやめ、コウホネ等の水草、彼岸花、山桜・大島桜等を見ることが出来ます。 コウホネは、2022年まで大池の東側の通路の脇にありましたが2023年は、池の中央と称池の北側の角付近にあります。※VRツアーは、まだ、取材しておりませんので見れません。7月頃を予定しております。

場所〒319-1222 茨城県日立市久慈町5丁目18(地図)

問合せ:日立市 都市建設部 都市整備課 公園係

電話0294-22-3111


赤羽緑地公園付近の地図

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鏡ヶ池のコウホネ群生地:桜川市

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茨城県桜川市おすすめ観光スポット鏡ヶ池コウホネの案内VRツアー

鏡が池は、土浦市で霞ヶ浦に注ぐ桜川の水源地で謡曲「桜川」や花園天皇、紀貫之の和歌にも登場する名所です。この池には、多数のコウホネが群生しています。群生としては、茨城県でも最も大きいと思われます。

場所〒309-1333 茨城県桜川市山口(地図)

問合せ:桜川市観光協会

電話0296-55-1159


鏡ヶ池のコウホネの景観

茨城県桜川市の鏡ヶ池のコウホネの観光VRツアー

鏡ヶ池付近の地図


筑波実験植物園のコウホネ・オゼコウホネ:つくば市

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筑波実験植物園のオゼコウホネのVRツアー

筑波実験植物園は、つくば市天久保にある国立科学博物館の植物の研究機関で、つくば植物園とも呼ばれ一般公開されています。
筑波実験植物園では、生きた多様な植物を収集・保全し、絶滅危惧種を中心とした植物多様性保全研究をしています。 約14 万平方メートルの園内には、中部日本等の植物が屋外に植栽され、世界の熱帯や乾燥地、熱帯降雨林などを代表する植物を植栽した施設もあります。
中央広場から北東に向かった先に水生植物区画(約3700平方メートル)の池があり、この池では、ハンゲショウ、オニバス、ヒツジグサ、コウホネ等希少な水生植物を見ることができます。 コウホネは、池の西側の森から入り木製通路を進むと林間のハンゲショウの湿地を通り、北東方向に進むと池の通路の最後に尾瀬コウホネのブロックがあります。尾瀬コウホネは、群馬県の尾瀬、山形県の月山、北海道の猿払原野の池塘にのみ分布する極めて珍しいコウホネです。柱頭部分(中心部分)が赤く色づく特徴があります。
ブロック過ぎると北側通路でて林間を20m程東側に歩くとつくばね橋の東側池にでます。そこでは、コウホネの群生を見ることが出来ます。


筑波実験植物園の利用案内
所在地:〒305-0005 茨城県つくば市天久保4丁目1-1
営業時間:9:00~16:30(入園は16:00まで)
休園日:毎週月曜日(祝日・休日の場合は開園)
入園料:利用案内 ※一般・大学生: 320円 高校生以下無料
電話029-851-5159


つくばね橋東側のコウホネ群生地

筑波実験植物園の水生植物区画のコウホネ群生

筑波実験植物園の水生植物区画のつくばね橋東側池でコウホネの群生を見ることが出来ます。


巴川・野友橋付近のコウホネ自生地:鉾田市

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茨城県鉾田市の巴川の野友橋付近のコウホネのVRツアー1件

茨城県のコウホネと検索すると鉾田市まちづくり推進会議ホームページの2019年のコウホネ取材情報が検索され、鉾田市まちづくり推進会議の自然環境部会の方に確認したところ、今でも巴川(ともえがわ)河口付近の2箇所程にコウホネが自生しているところがあるということでした。また、洪水があったあと見ていないが見られると思うという話でした。また、ほっとパーク鉾田(温泉)に車を停めて、野友橋下流に向かって左側(北側)堤防を歩くと対岸に見られるという話でした。茨城県内でコウホネが河川にあるということを聞くのは初めてで驚きました。
翌日の2023年6月10日の午後に鉾田市のコウホネ自生地を取材しました。案内いただいた場所に1億年以上を起源とするコウホネが実際にあり感動です。
2023年6月2日深夜から3日午前にかけて、茨城県内は記録的な大雨に見舞われ、鉾田市の巴川の付近は、テレビでもニュースになりましたが、車2台が流された(人は無事救助された)場所でかつてない洪水・激流になった場所です。VRシーンを拡大して見てみるとわかりますが、葉がボロボロなっており、花がとれているものも見られますが、既に回復し咲いている花もあります。
コウホネは、コンクリート化等の生育の環境変化には弱いですが、河骨と言われるように根は強靭で茎は弾力性があり、そこそこの激流の洪水にも対応できる植物のようです。
巴川のコウホネの花の観察や写真を撮る場合には、対岸から見る必要があり、望遠鏡や双眼鏡、望遠レンズが必要です。また、駐車場はありません。巴川のコウホネは、7月~8月頃に再度取材予定です。

場所〒311-1525 茨城県鉾田市野友(地図)

なお、VRツアーの取材は、まだ行っておりませんが「ほっとパーク鉾田」には、温泉施設(風呂・温泉プール・食事・トレーニングルーム等)があるほか、子供の遊べる屋外遊具芝生広場、鹿島鉄道の車両展示、パークゴルフ、バーべキュウ場、ウォーキングコース等があり、鉾田市のおすすめ観光スポットです。


巴川 野友橋付近の地図


巴川・北浦橋水位観測所付近のコウホネ自生地

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茨城県鉾田市の巴川の北浦橋水位観測所付近のコウホネVRツアー1件

巴川・北浦橋水位観測所は、Googleマップに表示されています。この場所には、脇に橋名は不明ですが車道の橋があり、下流斜め右側約10メートルほどのところにコウホネがあります。橋の中央から見るとよくわかります。駐車場はありません。

場所〒311-1523 茨城県鉾田市串挽(地図)


巴川 北浦橋水位観測所付近の地図


水郷トンボ公園のコウホネ:潮来市

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茨城県潮来市おすすめ観光スポット水郷トンボ公園コウホネの案内VRツアー

水郷トンボ公園は、潮来市福島にある自然観察のできる公園です。ここには、大きく5つの池があり、北東に位置する池の北側か中央付近までの木橋通路の両側にコウホネがあります。コウホネの時期の5月~8月頃までは、ミズアオイ、アサザ、ガガブタ、オニバス等めずらしい水草を見ることができます。

場所〒311-2419 茨城県潮来市福島(地図)

問合せ:潮来市観光商工課

電話0299-63-1111


水郷トンボ公園のコウホネの様子

茨城県潮来市の水郷トンボ公園のコウホネの観光VRツアー

水郷トンボ公園付近の地図

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コウホネに関する参考文献

  • 「滑稽雑談 第二巻」 発行:昭53年12月23日 著者:四時同其諺 正徳3年(1713年)8月13日 発行者:荒井秀夫 発行所:ゆまに書房
  • 「大和本草 第2冊」 原著:宝永6年(1709年):益軒 貝原篤信 昭和55年10月20日発行 校註者代表:矢野宗幹 発行者:河本寿之 発行所:有明書房
  • 「牧野日本植物図鑑」昭和印刷:昭和52年3月30日 第7刷発行:昭和58年10月20日 著者:牧野富太郎 発行者:福田元次郎 発行所:株式会社北隆館
  • 「カラー版 薬草図鑑 発行:1999年8月5日 著者:伊沢凡人 会田民雄 発行者 川口克郎 発行所:社団法人家の光協会
  • 「名類聚鈔」昭和49年3月31日発行 編纂者:政宗敦夫 発行者:川間歳次郎 発行所:株式会社風間書房

茨城県のコウホネ以外水生植物・群生地の名所案内

茨城県のコウホネ以外の水生植物の名所は、別ページでご案内しております。