ホーム茨城VRツアーニュース茨城VRツアーの常総市観光案内の平将門ゆかりの地5件追加 2021年08月27日 VRツアー 常総観光VRツアーに平将門ゆかりの地5件追加 常総市には、平将門公本遽豊田館跡、西福寺建長銘板碑、蔵持建長銘板碑等多数の平将門の史跡があります。新たなに以下の平将門のゆかりの史跡等5件を追加しました。常総観光VRツアーをご覧ください。 1.平親王将門一族墳墓之地 所在地:茨城県常総市蔵持常総市蔵持にある平親王将門一族墳墓之地は、平将門と父の平良持、兄の将弘の墳墓と伝えられています。現存する蔵持建長銘板碑の3基と西福寺建長銘板碑1基の板碑は、もとはこの場所にありました。昭和5年(1930年)に鬼怒川沿岸の堤防改修工事に伴い、引手山から移されたものです。 2.六所塚(前方後円墳) 所在地:茨城県常総市蔵持251番地常総市蔵持にある六所塚は全長70mの巨大な前方後円墳で、常総市指定文化財です。鬼怒川右岸の神子女(御子埋)古墳群内に在り、かつては85基あった古墳の中でも最大規模とされています。古くから平将門とその父・良持が埋葬されていると信じられおり、祭祀されてきました。 3.桑原神社 所在地:常総市国生1186桑原神社は、常総市国生にある延喜式内社(小)の平将門も尊崇した由緒ある神社です。772年、下総国の国司である桑原王が創祀しました。かつては現在より東の鬼怒川右岸にあり、平将門の父である平良持公により下総国亭(庁)が置かれ政治の拠点とされていましたが、水害等により住民が西へ移動したため、延宝6年(1678年)現在地に奉還されされました。 4.香取大明神 所在地:茨城県常総市向石下15常総市向石下にある香取大明神は、平将門の父・平良持の創祀と云われています。昌泰年間(897~901年)に下総国亭(庁)を開く際、東国創業である香取神宮を総社として勧請されたと伝えられています。 5.将門川 所在地:常総市篠山常総市を流れる将門(しょうもん)川は、国生地区を上流端とする一級河川です。常総市篠山にある篠山水門が境となり、鬼怒川に注ぎます。将門川の近くには、平将門のゆかりの地が多数あります。 [トップに戻る]
常総市には、平将門公本遽豊田館跡、西福寺建長銘板碑、蔵持建長銘板碑等多数の平将門の史跡があります。新たなに以下の平将門のゆかりの史跡等5件を追加しました。常総観光VRツアーをご覧ください。
常総市蔵持にある平親王将門一族墳墓之地は、平将門と父の平良持、兄の将弘の墳墓と伝えられています。現存する蔵持建長銘板碑の3基と西福寺建長銘板碑1基の板碑は、もとはこの場所にありました。昭和5年(1930年)に鬼怒川沿岸の堤防改修工事に伴い、引手山から移されたものです。
常総市蔵持にある六所塚は全長70mの巨大な前方後円墳で、常総市指定文化財です。鬼怒川右岸の神子女(御子埋)古墳群内に在り、かつては85基あった古墳の中でも最大規模とされています。古くから平将門とその父・良持が埋葬されていると信じられおり、祭祀されてきました。
桑原神社は、常総市国生にある延喜式内社(小)の平将門も尊崇した由緒ある神社です。772年、下総国の国司である桑原王が創祀しました。かつては現在より東の鬼怒川右岸にあり、平将門の父である平良持公により下総国亭(庁)が置かれ政治の拠点とされていましたが、水害等により住民が西へ移動したため、延宝6年(1678年)現在地に奉還されされました。
常総市向石下にある香取大明神は、平将門の父・平良持の創祀と云われています。昌泰年間(897~901年)に下総国亭(庁)を開く際、東国創業である香取神宮を総社として勧請されたと伝えられています。
常総市を流れる将門(しょうもん)川は、国生地区を上流端とする一級河川です。常総市篠山にある篠山水門が境となり、鬼怒川に注ぎます。将門川の近くには、平将門のゆかりの地が多数あります。